中津ビハーラの会の第127回例会要旨報告

7月28日(土)午後4時より6時まで、中津ビハーラの会第127回例会を「こうひいや」にて開催しました。今回はメンバーの山口さんにまとめていただきました。ありがとうございます。

1.ビハーラ活動実践の場所をどこに得るかについて。どこを接点として広げて行けばよいか。
2.近く講演会的な形で公民館などを借りて行えないか。場所・方法などについて 学習・議題内容 1.オウム真理教のについて、なぜ仏教者はオウム真理教の暴走について強く批判したりブレーキをかけられなかったのか。 2.主犯者他の死刑という結末について。そもそも死刑じたいには真宗大谷派では反対である。法とその制度であっても   死刑は国家がする殺人であることは否めない。
3.死刑となることで殉教者扱いにされる危険性、オウムだけでなく仏教者としてカルト活動につながるような個人崇拝をもって   行うような宗教活動には警鐘を鳴らさないとならない。同時に世界でも死刑制度がある国は少数となり日本はその中で代表的な   国となった。ロシア他旧社会主義諸国でも死刑がある国は稀になったし、死刑がある国でも実施は極めて少ない。
4.法以前に倫理という概念がないと法は危険である。法治=万能でない。ドイツの事例、倫理の上に法律があるという考え、日本は   法律でもって倫理優先を計ろうとする考えの差。マルクスガブリエルが日独を比較して指摘した国家による法制度という手段での   全体主義を断とうとする倫理優先の考えが日本では無い。
5.同時にそれが厳密な政教分離となり、医療、教育、その他公共の場での宗教が全く切り離されている。其の為に終末医療への宗教者   の参加は医療者と家族の特別な積極的な希望が無くては出来ない現状は、実は戦後日本の社会は倫理は個人の事として制限され、   社会全体は制度と法でのみもって管理されるかたちになっていないか。これでは田宮先生が指摘しているように臨床仏教者、宗教者   が参加することは病院管理者(経営者)施設管理者(経営者)のトップダウンでしか着地が不可能で、社会的に広がりようがない。   また現場職員達にはそれがトップダウンであっても余計な仕事が増えると言う受取しか出来ない可能性もある。
6.逆に個人的資質としては法関係者、社会、医療、教育でも個人個人の倫理観念は高く世界的にも日本人個人の素質は旅行者達から   も高く評価されるようにトップクラスではないか。しかし、社会で倫理を明確にするものが制限されている。倫理つまり宗教も含めて。
7.倫理とは何か?時代と共に倫理観とは変わるものではないか?倫理は本来宗教によって発達し育っている。したがって普遍的な部分   というものは宗教から倫理は涵養されているからこそ、無宗教が原則となっても宗教は倫理を通して社会に貢献するだろうし、しな   くてはならない。それが日本ではオウム事件では全く無機能化を晒し、法律家が個人の良心と職業人としての良心で最初に対決した。
8.医療も同じで宗教心、倫理観のある医師、看護師が現場での様々な精神的ケアも担当している。しかし究極の生死の事は医療者では   「生」を以て完結が目的の医療者に「死」を以て完結という終末医療にはきわめて厳しい矛盾を突きつけている。これが社会や患者、   患者家族から医療者万能論でもって突きつけられているが、実は医療者にはそれに対しての明確な回答は持ち得ない(医療教育に   倫理教育、生死という事についての教育がない。関連文献を解釈する知識教育はそれの答えが出せようがない。)
9.そもそも個人では倫理観の高い日本で80%が死刑を肯定する土壌は何か?かたき討ち=報復を善とする発想。忠臣蔵を善とする   国民感情が長い年月を経て庶民に確立してしまった。実は武士道では明確に刀を抜いて背後から斬りつけた方に非がある。真っ当な   武士道に照らせば忠臣蔵の行動は明確に誤りであるという認識が出来たハズなのに、庶民にはそれが育ってしまった。この感情が死刑   肯定の源流となっているとしか考えられない。日本人で年末で忠臣蔵を見て感動をおぼえない者がほとんどいないように。 10.仏者としては死刑には今後も反対しなくてはならないが、真宗大谷派の死刑反対も「死刑反対」から「死刑制度見直し」に変わって   いるこれはなんでであろうか? 11.生死の問題については宗教者が受け止めて全社会で考えるものであるはずが出来にくい社会となっていないのではないか。宗教者の   努力が望まれるところ。現実に被災地ボランティアでは出来る事に多くが参加しているのだから。
以上 山口  合掌

 

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中津ビハーラの会第127回例会案内

毎年の様に見舞われる災害。
生活を損ない、地を荒らす抗う事の出来ない脅威に人の弱さを実感する。
然しながら、その大きな悲しみを目の当たりにして更に大きな慈しみが人々を包む。
「西日本豪雨災害」 2018.7.25 愛媛県西予市野村町

中津ビハーラの会第127回例会案内です。

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甲斐 之彦 九拝
Kai Shigen
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こころの時代「”豊かな終わり”をみつめて」を観て

今日30日午後1時から、Eテレの再放送「こころの時代」を観ました。「”豊かな終わり”をみつめて」というタイトルで、医師の徳永進先生との対談でした。先生は、鳥取赤十字病院の内科部長を経て、現在鳥取市内でホスピスケアを行う「野の花診療所」を開設し、施設・在宅両面でホスピスケアを積極的に行っています。いかにして、終末期の患者さんに、豊かな終わりを看取っていくかという課題で、患者さんと対応していく現場が詳細に紹介されました。大学病院と違って、野の花のように患者さんと笑い合って接している先生の姿には感動しました。
ところで、この先生の名前はどこかで見たことがあるなと探してみたところ、ありました。
東本願寺の首都圏開教本部である「真宗会館」から隔月に発行されている『サンガ』という雑誌に毎号、先生が「野の花診療所の窓から、老いるについて」というタイトルで連載しているのです。ホスピスの現場を踏まえた生々しいエッセイで、毎号楽しみに読んでいます。
私達の住む街にこのようなお医者さんが増えることを願ってやみません。

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中津ビハーラの会第126回例会要旨報告

6月23日(土)、午後4時より6時過ぎまで、中津ビハーラの会第126回例会を、こうひいやにて開催しました。報告者の都合で、ごく簡単に報告します。
1.老耄について。
2.いずれ、老病死についてのシンポジウムを、日田のメンバーのところで開催したい。
3.宗教は死んだ。現代人の考えにそぐわないと云う意見がある。
4.死の縁:ある会員は、家族の死を縁として、医師になろうと思った。
5.最近在宅医療が増えてきた。
6.仏教と仏道の問題、以前は仏道であった。生活が仏道である。
7.患者の死後の対処に、キリスト教と佛教では異なる。キリスト教は死ぬまでを重要視する。
8.臨終以前に僧を呼ぶような風習になってほしい。今は死後の枕経。
9.医療現場での医師の白衣と僧侶の僧衣のイメージの違い。
10.無宗教者がかなり多い。
11.西欧人は武士道を知っているが、日本人はどうか?
12.輪廻転生、無自性空について。
13.南方仏教やチベット佛教は輪廻を固く信じている。
14.家に帰って死にたいという患者がいるが、誰が判断するか?
15.延命措置について、医師の判断。
16.在宅死の場合、サービスをすることにどんな意味があるか。
17.介助におけるセクハラの問題。
18.その他いろいろ。
※ 次回:7月28日(土)の予定

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中津ビハーラの会第126回例会案内

中津ビハーラの会例会案内です。
宜しくお願い致します。

-- 
甲斐 之彦 九拝
Kai Shigen
誰にでもいずれ訪れる老病死の問題、これから真剣に議論してみませんか。気楽な円卓会議です、
遠方からの参加者もいます。一度覗いてみてください。
世話人代表 吉元 信行
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中津ビハーラの会第125回例会要旨報告

大変遅くなりましたが、5月26日に行われた中津ビハーラの会第125回例会の要旨を概略として報告します。
1.前回報告した、『仏教看護・ビハーラ』第12号のシンポジュームの内容が良かったことの報告。
2.唯識について、養老先生の『唯脳論』との関係。
3.彼岸寺について、各宗共通。
4.ターミナル従事者の教育の問題。臨床宗教師でなくても可能。
5.不安、傾聴。
6.最近、長岡西病院のビハーラ病棟のビハーラ僧が大学教員に栄転し不在になったので、新潟県仏教者ビハーラの会のメンバーが交代制でビハーラ僧を勤めるようになった。その順番制の問題。ビハーラ僧が多数変わるのがいいのか、専任の問題。
7.各病院でメディカルソーシャルワーカーはいるが、臨床宗教師にはなれない。
8.臨床仏教師養成の道場を作ってはどうか。
9.死相について。
10.その他色々ありましたが、省略します。
※ 次回予定:6月23日(土)午後4時より、こうひいやにて。

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中津ビハーラの会第125回例会案内

5月26日(土)午後4時より、こうひいやにて、中津ビハーラの会例会を開催します。
お気軽のご参加ください。
https://www.facebook.com/nakatuvihara/posts/2522759461282936?hc_location=ufi

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著書紹介(ビハーラ関係)

著書紹介:大井玄著『老年という海をゆく』――看取り医の回想とこれから――、認知症は病気ではなく、老耄の現れ。老耄はおだやかに死ぬための自然の恵み。人間の生老病死を見つめてきた看取り医による、超高齢社会へ向けての人生賛歌。(中津ビハーラの会例会より)

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中津ビハーラの会第124回例会要旨報告

4月28日(土)午後4時より6時過ぎまで、中津ビハーラの会第124回例会を開催しました。
1.紹介(1):佛教看護ビハーラ第12号のシンポジウム報告。佛教を背景とした看護――ビハーラ提唱30周年にあたって――コメンテイター:鍋島龍大教授、シンポジスト:介護士、医師、ビハーラ僧、遺族代表。
2.紹介(2):大井玄『老年という海を行く――看取り医の回想とこれから――』(みみず書房)著者は東大医学部教授を経て、さまざまな要職をこなし、ターミナルケアの権威。83歳で尚、看取り医として活躍中。ご自分の老耄の経験を通して、認知症の現場を回想する。著者は、アルツハイマーは病気ではなく、老耄の現れであると説く。
3.民族の差別の諸問題:中近東、ヨーロッパ、東南アジアの違い。
4.ユダヤ教とユダヤ人の世界における現状。
5.宗教と布教の問題、キリスト教、イスラム教、佛教の場合。
6.ビハーラを広めるにはどうするか。ビハーラの会に一元的に参加して、あとは来ない人がいるが、ビハーラの会そのものに問題があるのか。なにか方策はないか。
7.ビハーラの会のあり方、学習の場がほしいと思ってやって来たが、そうではなく、問をいただくところであった。
8.家族間でビハーラは可能か。
9.月参りのある寺では、ビハーラ活動が可能である。
10.医師と家族の関係。
11.胃ろうの問題、認知症の患者に胃ろうをすることの問題点。
12.ある外国人患者の事例報告。
13.外国人介護士の問題点。
14.以下いろいろな議論あり。
※ 次回予定:5月26日(土)、今のうちから予定して、多数の参加を期待します。

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中津ビハーラの会第124回例会案内

4月28日(土)午後4時より、いつもの「こーひーや」にて開催します。
皆さん、奮ってご参加ください。

清廉な祈りの姿は、彼我の隔てを超えて伝わって来る思いがした。
中津ビハーラの会第124回例会案内です。

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